第一八佰伴(ヤオハン)周辺 1

2018年最初の記事。 約1年前、「上海第一八佰伴(ヤオハン)」近く、张杨路周辺の再開発の様子(第一八佰伴(ヤオハン)周辺1)を書いたが、未使用の写真が結構あったので大幅に追加した。そのため、1本のボリュームが増え過ぎたので、以下の2つに分けた。 ・第一八佰伴(ヤオハン)周辺 ← 良かったら眺めて見てください。 ・第一八佰伴(ヤオハン)周辺 1 ← 本記事 Google Map 上海第一八佰伴(ヤオハン)周辺 の地図。 2002年1月 张杨路の黄浦江近くに建つサービス・アパートメント「湯臣商務中心大廈」から見た朝焼けの様子。右は建設中の超高級マンション「 世茂滨江花园」1棟目。中央奥に「東錦江希爾頓逸林酒店(ダブルツリー・ヒルトンホテル)」が見える。写真の左下から斜め上に走る通りは浦城路。 その「 世茂滨江花园」の周辺の様子。右側には民家、倉庫などがまだ残っている。後年、この辺りは全て解体撤去され、「 世茂滨江花园」の他、同じく高級マンション群「滨江凯旋门」、緑地公園に生まれ変わる。 西南の方向にカメラを向け黄浦江を撮影する。 少し南にずらす。黄浦江岸の埠頭、倉庫の様子が見て取れる。遠くに南浦大桥が微かに見える。 「湯臣商務中心大廈」前より東向きで撮影。中央が「第一八佰伴」、その後ろに建設中の円柱形をした「生命人寿大厦」が見える。 「江临天下」の建設現場から陆家嘴方向を望むと「東方明珠」の1 つ目のお団子が見える。その手前は高…

続きを読む

朱家角

2002年7月に上海市の郊外にある水郷の古鎮「朱家角」を訪れた時の様子。朱家角は上海に幾つかある水郷の中でも「上海第一大鎮」と称される著名な観光スポットである。近くには淀山湖や上海国际高尔夫球乡村俱乐部(ゴルフ場)がある。淀山湖の北西にある「周荘」、浙江省嘉興市 にある「西塘」、「烏鎮」と合わせて江南4大水郷とも称される。 実は「朱家角」を訪れた記憶が全くなく、かつ写真を格納していたフォルダには違う名前を使っていた、写真そのものに「朱家角」の地名を表すものが写っていなかったため、最近まで気づかなかった。 朱家角の地図。 まずは、観光船が行き交う運河の風景。 北大街を進むとなにかわからぬが石造りの門をくぐる。 その先の北大街の様子。 運河にかかる定番の石造りのアーチ型の橋。 さらに進む。 狭い通りに出る。この辺りから土産物、地元特産物を売る店が増えてくる。太湖の真珠も売っている。 船に乗って清華閣?を見る。 運河沿いの白い壁、黒い瓦屋根の民家が連なる。 古民家の様子。 続く

続きを読む

南京 2002年

2002年 江蘇省・南京を訪れた時の写真。 南京は上海から凡そ300kmの距離。2002年当時、一番早い列車でも3時間近く掛かっていたと記憶するが、現在は高速鉄道(中国版新幹線)で上海〜南京間ノンストップでジャスト60分という列車がある。国土が狭く海岸線まで山が迫るような地形の日本と違って、ほぼ一直線で線路を引くことができるので、兎に角スピードが出せる。最速350km/hとかなんとか。日中間、列車のスピードを競っても意味がないのだが、私が思うに列車の性能の違いというよりは地形の違いでしょうね、単純に。 2002年3月、上海から南京までの列車車窓からの風景。場所は全く覚えていないが、停車駅周辺以外はほぼこんな感じ。ちょうど菜の花が咲き始めた頃。なかなか綺麗なもんだ。 一面黄色の絨毯に覆われたよう。 中山陵 最初に行ったところは中山陵。南京といえばここでしょうという観光名所。いうまでもなく孫中山(孫文)先生の陵墓。入り口には孫文がよく引用した「天下為公」が掲げられている。天下をもって公となす。中国の古典『礼記』(らいきと読む)にある言葉である。 天朝宮殿の模型。はて、これはなんだったかな? 孫文 初代中華民国臨時大総統時代の事務所。 全体を撮影した写真があったと思ったが、どこを探してもない。 2002年11月 南京市内の地図。 新街口周辺。 南京で最も賑やかな繁華街「 新街口」周辺の様子。中山東…

続きを読む

鎮江

写真を整理していたら2001年、2002年に江蘇省・鎮江を訪れた時のものが出てきたので纏めてみる。時期は今から16年前の2001年12月と2002年4月。 鎮江の地図。 鎮江英国領事館旧址周辺の地図。 2001年12月 早速、長江にほど近い英国租界地に赴く。1864年 英国租界地に建てられた英国領事館旧跡。現在は鎮江博物館の一部となっている。外観のみ。 英国領事館旧跡の脇にある西津渡街の入り口。左手は英国領事館旧跡。 少し先に進んだ小道の様子。 両側が石塀の通りを先に進む。 この辺りは高台にある。 右にあるのは英国租界英国租界地時代の砲台跡?。 高台より街並みを見渡す。 この辺りには普陀巌、観音洞などの仏教系施設が連なる。 石造りのゲート。 2002年4月に再度訪れた時の様子。またまた街並みを見渡す。 1895年に建造された救生会旧跡。救生会は所謂社会慈善事業活動。 西津渡古街の様子。 調理中お邪魔します。 兄妹仲良く遊んでね。 金山寺の地図。 次に金山寺に登る。ここは公園にもなっていて、高台からの眺望。 金山寺の黄色い屋根が見える。 遠く彼方に長江が見える。 おまけの猫 子猫。 つづく

続きを読む

2002年 番外編

2002年に撮影した写真で、取り上げなかったものをいくつかご紹介したい。 まずは、浦東 商城路。Google Mapで場所を確認。2007年、地下鉄9号線が開通した。 2002年3月撮影した商城路。奥に黄浦江が見える。中央の敷地に後年匯豪天下が建設される。 左は建設中の江臨天下。 角度を北向きで撮影。手前は洋泾·菊园实验学校。 2002年8月。東方路にある日航中油ホテルから東方向を眺める。中央を斜めに流れる張家浜。それと交差するのが楊高南路。左手奥が上海科技館、河を挟んだ反対側が後の东和公寓や日本人学校が建設される用地。 2002年9月 夕暮れの外灘。 滨江公园から対岸の上海大廈方向を撮影。 2002年10月 南京東路 歩行街。国慶節の休みで人が多い。 2002年11月 南京の街並み。 ホテルより西向きで撮影。背景の山は清凉山公园? 南西向きで。 南京一の繁華街 新街口。 地下鉄工事中。 つづく

続きを読む

浦東 東方路から浦東大道へ

2002年8月、浦東の東方路から浦東大道まで散策したので、そのときの様子を見てみる。 ちなみに、現在、浦東大道は地下鉄14号線の工事でえらい事になっている。この様子は別の機会でご紹介したい。 まずは、Google Mapで場所を確認。 東方路から浦東大道方向を眺める。 東方路を浦東大道方向に進むと地下鉄4号線の工事現場に出る。その右側に通りに沿ってマンションが建っている。 よく見ると断面が縦に削り取られているように見える。道路拡張のため、マンションを取り壊す事無く、不要部分を縦に切り取ったようである。 栖霞路との交差点。中央は良豊大廈。 遠目から撮影。右側のマンション、こちらも切り取られている。 東方路を振り返る。 浦東大道が見えて来た。右の古い民家はGoogle Earthで確認すると2016年ぐらいまで解体されず残っていた。歴史を感じさせる建物だが保存されていた様子はない。右奥は浜江茗園。 浦東大道との交差点。左は栄成大廈 。 角度を変えて、陸家嘴方向をみる。金茂大廈が見える。 東方路を振り返る。 裕景国际商务广场の用地。 浜江茗園。その手前が裕景国际商务广场の用地。 つづく

続きを読む

江西省 2 景徳鎮編

次に、江西省1 南昌編の続き、 陶磁器の名産地である景徳鎮に向かう。時は2002年10月3日。 景徳鎮の場所をGoogle Mapで確認。南昌、九江、景徳鎮はほぼ等距離の三角の形をしているが、 南昌→景徳鎮間には鄱陽湖があるため実際は大回りしなければならず、直線の倍以上の距離を行く事になる。このため、4時間半くらい時間を要する。 さて、列車に乗りこむとする。 この列車は景徳鎮経由で南京西駅行き。 景徳鎮駅前。どんな駅でも駅前は人でごった返すのだが、ここは不思議と人が少ない。 ホテルから見た街の様子。やはり煙突が多い。 珠山中路。 景徳鎮陶瓷歴史博物馆を見学する。 ここでは制作の様子を見学することができる。ガイドさんが案内してくれるようでもあるが、ざっと一回りする。 ロクロ回ってます。 下絵を描いているところ。 色付け。 制作過程のものが色々おいてある。 ここには完成したものが保管されている。 附近に古民家を保存した民族博物館もある。これは清の時代の家屋。 立派な門構え。 市中心部に戻り、龍珠閣を見学する。古い建造物らしいが、謂れが分からず。 ここは中に入らず外からの撮影のみ。 遠目から龍珠閣を望む。手前の川は昌江。 昌江対岸に老姐ではなく老街の香ばしい香りがする。 果たしてそこにあった。 狭い路地と湾曲したラインがいい感じである。 なかなかの板壁。 …

続きを読む

江西省1 南昌編

2002年10月に訪れた江西省南昌、九江、龍虎山、景徳鎮の旅行を2回に分けて纏めてみる。往路は上海より寝台列車で南昌まで移動。 南昌は、1927年8月1日、周恩来、朱徳、賀龍、葉挺、劉伯承らが武装起義(南昌起義)を指導し、中国人民解放軍誕生の地となった場所。この日は中国の建軍記念日として祝日になっている。(by ウィキペディア)  このため、市内にはこの8月1日にちなみ、八一広場、八一公園、八一大道、八一橋など八一と名のついた施設が多い。この際言っておくが、「一か八か」は賭博用語でこの地とは関係ない。「一か八か釈迦十か」というカルタ用語もあるらしい。 まずは、Google Mapで位置を確認。 早朝到着した南昌駅。面白い形をしている。目を赤くして口を大きく開けて涙を流す大王ではない。 駅前風景。 街の風景。国慶節で賑わう街一番の目抜き通りである八一大道。 八一公園の北側に位置する佑民寺。南北朝時代の503年建造。1500年以上の歴史がある古刹。7度再建され、幾度となく名称も変わったと言われている。上蘭寺に始まり、大佛寺、開元寺、唐代以降、如承天寺、能仁寺、永寧寺、清朝時代に佑清寺となり、1929年 現在の名である佑民寺となる。ある意味時代に翻弄された苦難の歴史を有する寺院と言える。 佑民寺の西側に広がる南湖。 そのまま西に進むと滕王阁が見えてくる。滕王阁は武汉の黄鹤楼、岳阳の岳阳楼、山西永济の鹳雀楼と併せて中国四大明楼に数えられる。7世紀半ばに…

続きを読む

動画 黄浦江、長江を渡る

2002年、2003年の動画をアップしましたので、ご興味あればご観覧ください。 楊浦大橋を走行して黄浦江を渡る 黄浦江をフェリーで渡る 南京長江大橋を走行して長江(揚子江)を渡る つづく

続きを読む

金融の中心 陆家嘴 2

前回の金融の中心 陆家嘴1の続き。 Google Mapで位置を確認。 2002年9月  浦東香格里拉大酒店(シャングリラホテル)から南側を撮影。右側は黄浦江。 手前のスペースは未來資產大廈の敷地、右に少し写っているのが震旦国際大楼(Auroraビル)、その向こうは花旗集团大厦、湯臣一品(Tomson Riviera)の敷地。 南東向きで。手前にビルが無いので仁恒滨江园が一望できる。左に金茂大廈がかろうじて。中央のスペースには、上海中心大廈(世界第2位の高さ@2016)が建設される。 2002年10月 富城路から建設中の震旦国際大楼(Auroraビル)を撮影。 そう言えばゴルフ練習場(左)があった。 2002年11月 中銀大廈と交銀金融大廈のツーショット。芝生の緑が映える。 2003年1月。 銀城中路に沿って交銀金融大廈となりに上海银行大厦の建設が始まる。 更にその奥も重機が入り一斉に建設が始まる。 左から中銀大廈、交銀金融大廈、建設中の上海银行大厦。 2003年2月 右から正大広場、浦東香格里拉大酒店、震旦国際大楼。手前はフードコート。 2003年3月 銀城南路から見た仁恒滨江园。 震旦国際大楼を見る。フードコートと呼んでいたが、正式名称は陸家嘴美食城。 上海中心大廈の敷地に建つゴルフ練習場と飲食店。 東方明珠と建設中の上海银行大厦。 震旦国際大楼の隣に湯臣一品(Tomson…

続きを読む

第一八佰伴(ヤオハン)周辺 3 浦城路

第一八佰伴(ヤオハン)周辺の写真を整理していたら、浦城路の写真が多くあったので纏めてみる。併せて近況を撮影して来たので新旧比較する。浦城路は浦東南路と平行し通り一つ黄浦江寄り。特に张杨路との交差点はトンネル工事のためえらい事になっている。 過去ログはこちらから参照ください。 第一八佰伴周辺 1 第一八佰伴周辺 2 Google Mapで場所を確認。 2002年9月撮影。浦城路より张杨路との交差点方向を北に見る。左は建設中の江临天下。 少し遠目から。 2017年1月 同じ場所から。店は変われど通りの雰囲気は14年前とほぼ一緒。 2002年9月撮影。遠目から。中央に建設中の江临天下。金茂大廈の頭が見える。 2017年1月。霞がかっているが世界第2位の高さを誇る上海中心大廈が望める。 2002年9月撮影。浦城路を南向きで撮影。右上に世茂滨江花园が見える。 2017年1月 雰囲気は一緒。 1棟だけだった世茂滨江花园は完成。 以下、2002年9月撮影した様子。世茂滨江花园附近の立ち退きの様子。 浦城路より通り一つ入る。集合住宅群。ここも間もなく取り壊しになる。 ここはまだ手付かずの状態。徐往里47号。もう今は無い通り。 ここは取り壊しが始まっている。 世茂滨江花园建設現場のすぐ附近。 浦城路を南に歩き、北方向を向いて世茂滨江花园を撮影。 さらに浦城路を南に進むと突然歩行者天国のよ…

続きを読む

浦東 民生路

浦東の民生路。先日取り上げた源深体育中心より通り二つ分だけ外側に位置する。南端は锦绣路,直ぐ隣は世紀公園。この附近に中国査証でお世話になっている公安局出入境管理局がある。 北端は黄浦江、渡し船の乗り場になっている。今回、浦東大道から民生路に入り渡し船に乗るルートを辿る。 まず、Google Mapで場所の確認。 Google Earth 2000年11月を見てみる。左下から右上にかけて、特に昌邑路沿いに民家がごちゃごちゃっと密集しているのが良く分かる。 「地図データ: Google、DigitalGlobe」 次が2016年7月の様子。密集していた民家は全て「拆」、取り壊され、再開発された事が見て取れる。また黄浦江沿いにあった一部の工場か倉庫も取り壊され、緑地化(公園?)になっている。 「地図データ: Google、DigitalGlobe」 それでは、2002年8月の様子。 浦東大道から民生路に折れたところにある屋根付きの商店街。思ったより奥行きがある。 民生路に戻る。歩道があるようにも見えるが店舗のようでもある。 噂の昌邑路を左に折れる。なかなか香ばしい下町の様子。 店屋の様子。オーダーメイドの革靴屋もある。 おしゃれなバッグを持っていると思ったら... にわとり。 戻って反対方向を歩く。 ずんずん進むと野菜を売っている店屋が連なる。 民生路に戻って先に進むと黄浦江にでる。 その脇にシンプル…

続きを読む