陆家嘴 遠景

今年も明日1日限り。こちらは旧正月(春節)が新年の始まりなので、今日はクリスマス後の土日を含んだちょっと休みが長い3連休という感じ。それでも、新暦の新年を祝うイベントも年々盛大になって来ており、2014年末の外灘での群衆事故(将棋倒し)は記憶に新しい。遡れば1992年末の香港・蘭桂坊での同様の事故。この時は日本人も犠牲になっていたので、そのことを伝えるニュースを鮮明に覚えている。 さて、そういう訳で、新年とはなんの関係もないのだが、2012年から2015年までの陆家嘴の高層ビルの様子を紹介したい。写真の主役である「上海中心大廈(上海タワー)」は2008年11月に工事が始まり、2016年3月完工したのだが、その時々の見せる顔をご覧いただきたい。 2012年10月 浦西・延安高路から見た超高層ビル群。左に「金茂大厦」、その横の栓抜き・「上海环球金融中心(上海ワールド・フィナンシャル・センター)」、右は建設中の「上海中心大廈(上海タワー)」。 2013年1月 浦東・商城路の仁恒浜江園前から見上げる。 工事エリアまで近づき、「上海中心大廈(上海タワー)」を見上げる。「お〜い、ねじれてるぞ〜」。 浦東南路から望む。「上海环球金融中心(上海ワールド・フィナンシャル・センター)」の右隣は「上海二十一世纪中心大厦」。 浦城路から撮影。「とうもろこし、頂きました」ではない。念のため。 2013年3月 夕暮れ時、世紀大道から眺める。 201…

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外灘源 旧英国駐上海総領事館周辺

2015年8月 外灘の裏側、外灘源と称する圆明园路、滇池路、旧英国駐上海総領事館を訪れた時の様子。 外灘の周辺地図。 まず北京東路から圆明园路を曲がり北上、呉淞江を目指す。この通りの主要な建築物はほぼ上海市の優秀歴史建筑に指定されている。写真は手前 「安培洋行大楼」、奥 「圆明园公寓」。「安培洋行大楼」は1907年、「圆明园公寓」は1904年に建造。 振り返る。右は「协进大楼」。1923年生まれのお姉さん達の撮影風景が写ってしまった。間違い、「协进大楼」が1923年建築、お詫びして訂正します。 旧英国駐上海総領事館の敷地の半分くらいは「上海半岛酒店(ペニンシュラホテル)」として2009年に開業している。写真は旧総領事館の敷地の北外れに建つ「原新天安堂」。 旧総領事館、現在は「金融家倶楽部」。後ろは陆家嘴のビル群。 別角度から。 上海市優秀歴史建筑を示すプレート。 南蘇州路にある「原划船俱乐部」ビル。後ろは「上海大厦」。 外灘側に出る。「上海半岛酒店(ペニンシュラホテル)」の隣の「東方匯理銀行旧址」ビル。 外灘に建つ歴史建築物を眺め始めるときりがないので、滇池路で曲がる。圆明园路を越えると見えてくる「仁記洋行」ビル。1908年竣工、こちらも上海市優秀歴史建筑に指定されている。 上海市優秀歴史建筑を示すプレート。 そのお隣。「旧通和洋行」、現「業広地産有限公司」。こちらも1908…

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浦西 光復里・合徳里

2015年1月 光復里、合徳里を訪れた時の様子。ここは、上海で最も劣悪な環境の中で多くの人が今尚暮らし続ける場所である。最盛期には2000人を超える人々が暮らしたという。エリアの半分ほどはすでに解体撤去が進み、高級高層マンションに生まれ変わったが、残り半分は立ち退き交渉が進まず工事が中断していると聞く。トップギアで発展を続ける上海の影の部分を見るため現場を訪れた。 場所は吴淞江(蘇州河)に沿って走る光復西路と東新路に挟まれたエリア。 光復里、合徳里の場所。 周辺の地図。 Google Earthの航空写真。 2000年11月 冒頭のエリアには民家が密集しているのがよくわかる。 2004年5月 エリアの右側(東側)、河寄りの部分から解体撤去が始まっているのが分かる。 2017年4月 驚いたことに、左側(西側)は今尚現状のまま。 さて、東新路を西に向かい歩いていると見えてくる光復里、合徳里の北門。 門をくぐり中に足を踏み入れる。この路地を挟んで、右サイドは今尚多くの人が住む生活エリア、そして左サイドは取り壊しが放置された瓦礫の山のエリア。その後ろは高層マンション「新湖明珠城」。 放置された民家と瓦礫、そして高層マンションが同居している様。 取り残された民家。勿論、人が住める状態では無いようだが。 来た道を振り返る。右側は家屋の解体が進んでいるエリアだが、放置された民家にはまだ多くの人が住んでいる。 前に進…

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