鎮江

写真を整理していたら2001年、2002年に江蘇省・鎮江を訪れた時のものが出てきたので纏めてみる。時期は今から16年前の2001年12月と2002年4月。 鎮江の地図。 鎮江英国領事館旧址周辺の地図。 2001年12月 早速、長江にほど近い英国租界地に赴く。1864年 英国租界地に建てられた英国領事館旧跡。現在は鎮江博物館の一部となっている。外観のみ。 英国領事館旧跡の脇にある西津渡街の入り口。左手は英国領事館旧跡。 少し先に進んだ小道の様子。 両側が石塀の通りを先に進む。 この辺りは高台にある。 右にあるのは英国租界英国租界地時代の砲台跡?。 高台より街並みを見渡す。 この辺りには普陀巌、観音洞などの仏教系施設が連なる。 石造りのゲート。 2002年4月に再度訪れた時の様子。またまた街並みを見渡す。 1895年に建造された救生会旧跡。救生会は所謂社会慈善事業活動。 西津渡古街の様子。 調理中お邪魔します。 兄妹仲良く遊んでね。 金山寺の地図。 次に金山寺に登る。ここは公園にもなっていて、高台からの眺望。 金山寺の黄色い屋根が見える。 遠く彼方に長江が見える。 おまけの猫 子猫。 つづく

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南市 豫园周辺 方浜中路

いよいよ豫园周辺を取り上げる。 豫园は明代1559年に建造された四川省の役人の私邸で江南を代表する園林。丁度400年後の1959年に上海市の文物保護単位に指定された。 興味深いのは、人民路(复兴东路より北側)と中華路(同南側)を結んだ楕円形の内側のエリア。ここは、租界時代にも日本人など外国人の手が入ることのなかった中国人居住地区で、横町を少し入ると古い民家が多く残り、昔ながらの下町の生活を垣間見ることのできる場所である。 いかようにでもアクセスできるが、今回は方浜中路から豫园へ抜けるルートを行く。 まず、Google Mapで位置を確認。 Google Earth 2002年12月を見てみる。データ精度の不一致により一部ぼやけてます(オリジナルのまま)。 冒頭述べた人民路と中華路で囲まれた楕円形の内側は赤茶色の民家が密集しているのが見て取れる。 「地図データ: Google、DigitalGlobe」 撮影は2001年10月。 人民路から方浜中路に入る。 両サイドすでに取り壊し済み。 この狭さで車が走る。 正面に金茂大廈が見える。 ちょっと道幅が広くなる。 右に向かうと西馬街。 左に折れると青蓮街。 ちょっとした横町を覗く。 方浜中路を更に進む。 河南中路に出る。このエリアはすでに立ち退きが完了し、再開発中。 高層マンション建設中。 ようやく豫园が近くなる。金茂大廈もお出迎え。 上海老街の…

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2001年 番外編

1つのテーマにまとめきれなかった2001年撮影の写真をアップします。 まずは、陆家嘴のシンボルである東方明珠。こうして見ると対岸の浦西にはまだ超高層ビルはほどんど見あたらない。撮影は2001年7月。 北西に向きを変えて。 西蔵中路と南京東路の交差点に架かる円形歩道橋より南京東路を撮影。左は上海第一百貨、右は百聯世茂国際広場が出来る前の商店。1年後の2002年8月にはすでに撤去されている。 撮影は2001年9月。 夕暮れの外灘。撮影は2001年9月。 対岸からの夜景。撮影は2001年9月。 サイドからの夜景。中央に緑の帽子の和平飯店北楼が見える。撮影は2001年11月。 徐家汇。写真中央の球体のショッピングモール美羅城のほか、1991年開業の汇联百货、1992年開業のの東方商厦,1999年の港汇广场(ツインタワーは未建設)、太平洋百货、六百货など当時から商業施設が充実していた。撮影は2001年9月。 右が東方商厦。奥へ向かう通りは漕溪北路。 つづく

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浦東 源深体育中心

2001年10月、浦東で住居エリア取り壊し中との情報があり、早速出かけたのが源深路と張楊路の交差するエリア。現在、このポイントは地下鉄6号線の「源深体育中心」駅の真上に当たる。解体撤去が進むこのエリアは後年、高級マンション群である「陸家嘴国際華城」に様変わり。ここは、先日取り上げた世紀大道駅から一駅の距離である。考えてみれば、この時期、上海では至る所で取り壊しがあり、珍しい事ではなかったのだが... 【2018年1月1日 写真を追加】 まずは、Google Mapで位置を確認。 直ぐ目と鼻の先に「源深体育中心(運動公園)」がある。当時は地下鉄6号線は開通していないので、バスか徒歩なのだが、世紀大道駅から歩いても15分くらい。 次にGoogle Earth 2000年12月を見てみる。 赤く囲ったところが今回訪れた「拆」(取り壊し)進行形エリア。 「地図データ: Google、DigitalGlobe」 次に2016年7月を見る。2000年の航空写真で赤く囲ったエリアは高層ビル、マンションに生まれ変わった様子が見て取れる。 「地図データ: Google、DigitalGlobe」 それでは、2001年10月に撮影した写真を見てみる。 源深路と商城路の交差点から東向きで撮影。手前、左右に走る通りが源深路、奥に向かう通りが商城路。右は現在はもう存在しないホテルと商業ビル。 商業ビルの奥には後年高級マンション群「陸家嘴国際華城」が建設される…

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金融の中心 陆家嘴 1

陆家嘴は浦東地区の金融の中心、いや、中国を代表するその地である。いまや、世界を代表する金融街の一つだが、2001年当時はまだまだ駆け出しの半人前、これからというのが実感であった。 陆家嘴の名の由来は、黄浦江が約90度大きく曲がり、周りを水に囲まれた様子は口(嘴)の形に似ていること、また明代の著名な作家陆深に縁が深いことから来ていると言われている。 風水から見るとこのような地形は、流れてくる宝物を堆積する場所、つまり冨の源泉を集めるという、金融を扱う場所としては最も相応しいと言えるのではないか。 【2018年1月17日 写真追加】 Google Earth 2000年5月の様子。 「地図データ: Google、DigitalGlobe」 周辺の地図。 さて、2000年5月の航空写真を眺める。 まず、陆家嘴のシンボルである「东方明珠」を確認する。1990年に着工し、1994年11月に完成したテレビ塔である。私が初めて浦東の地に足を踏み入れたのは、1993年7月。延安東路隧道(1989年に開通)を浦西側から潜り、地上に出て見たのが完成間近の「东方明珠」。どのように移動したか覚えていないが、その周りに密集する民家。よく見ると、家財道具をトラックに積み込んで引っ越し作業の真っ最中。そんな情景を思い出した。そして、当時中国一の高さを誇った1998年開業の「金茂大厦」(実際は翌1999年)、周辺に1999年開業の「中银大厦」、「森茂國際大厦(現、恒生银行大厦)」などのオフ…

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第一八佰伴(ヤオハン)周辺

上海駅北口の次に、浦东の商業の中心、「上海第一八佰伴」周辺を見てみる。 ヤオハンについては今更説明するまでもないと思うが、「おしん」のモデルと言われるヤオハン創業者和田カツさんが亡くなられたのが1993年、それから2年後の1995年に、当時アジアNo.1の売り場面積(ニューヨークのメイシーズに次ぐ世界2位)の日中合弁の「上海第一八佰伴」がオープン、この頃がまさにピークだったと思う。 1995年12月20日の開業日には、107万人の来客があり、この記録はギネスブックに掲載されたという。 栄枯盛衰は世の習いというが、栄えていなければ枯れようも無いので私には心配の種ががない。トホホホホ... 【2018年1月2日 写真追加及び2002年分を分離】 まずは、Google Mapで位置確認。 主な通りとしては、中央斜めに张杨路、右上に世纪大道、中央縦に浦东南路。 商業施設としては、中央に冒頭の「上海第一八佰伴」,対面には「华润时代广场」。 さて、このエリア周辺を軸に過去を振り返ってみる。 次に、Google Earth先生の登場。 この縮尺の最古のものは2000年5月なので、ここから始める。 上述の「第一八佰伴」,「华润时代广场」のほか、めぼしいのは「湯臣商務中心大廈」、「中电大酒店」くらいか。 张杨路の黄浦江方向(写真左側)北側はすでに高層マンション建設の為、立ち退きが完了し、「仁恒滨江园」、「菊园」などの高層マンション建設が始まった。緑色した更地(運動場の…

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