暑かった夏も終わり、ようやくブログの続きでも書いてみようという気になってきた。
今回はしばらく続けていた邪馬台国関連はひとまずお休みし、日本の生い立ちを知る上でも欠かせない中国古代史を改めて掘り起こしてみたい。
世界四大文明の一つに挙げられている黄河文明、私たちの世代はこう学校で習ったが、それを凌駕するレベルの文明が長江下流…
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長江文明 5 長江文明の衰退の続き。
3章 「長江・黄河そして日本」。この章は梅原氏と京都大学名誉教授であり考古学者の樋口隆康氏との対談がベース。この対談では各方面の話題が出て大変興味深いのだが、いくつかピックアップしてみる。
・やはり何と言っても、文字の存在。北(殷:黄河文明)では見つかっているが、南(長江文明)では現時点…
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長江文明 4 都市文明の成立の続き。
前回、「紀元前2000年頃(今から4000年前)頃を境にして、長江流域全体が停滞期を迎える。これが、中国歴史最大の謎である」で終わった。その続き。
ここで、もう一度石家河文化圏の三苗民族と良渚文化圏の古代越人について触れておく。
三苗民族は長江中流域で紀元前3000年前半から末期に…
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長江文明 3 土器の起源の続き。
第2章 都市文明の曙光
(問)都市文明はどこで発生したのか?
(答)城壁を作っての城壁都市は長江中流域の城頭山遺跡が一番古い。紀元前3500年、今から5500年前から5000年前に巨大な城壁を作るようになった。但し、考古学上の証拠としては、今から5000年前から4000年前の間、とりわ…
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長江文明 2 稲作農業の起源の続き。
次に、梅原氏の以下の3つの質問に対し、巌文明氏が大変謙虚に答えられている。
1.稲作農耕起源が何故長江中流か?
2. 石器文明、旧石器・新石器の関係
3. 土器の発生
巌氏の説明を簡潔に言うと、
1、今まで発見された中で、長江中域が差し当たって一番古い。しかし、唯一の中心地だ…
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先に長江文明について書いた。「長江文明の探求」(梅原猛氏、安田喜憲氏共著 2004年)という本を読んだことがきっかけであった。その出版の4年前、2000年に世界的にも著名な哲学者である梅原猛氏は中国の考古学者である巌文明氏、樋口隆康氏との共作による「長江文明の曙」という本を上梓している。まず、こちらの内容を先に掘り下げて見たいと思う。
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前々回の長江文明、前回の日本の神話の続き。
先に述べたように、神話であるわけだから、如何様にでも都合よく創作したり、改変する事ができるにもかかわらず、「古事記」にはニニギノミコトが日本列島に最初に降り立った場所が、鹿児島県西部の笠沙(かささ)の地であると書き記されている。私には、積極的に記したと考える方が、合理的ではないかと思える…
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これまで、2001年から2004年頃までに撮影した上海や旅行の写真をまとめる形でブログを書いてきた。概ね15年くらい前の上海の様子である。劇的に変わっていく街の様子を、大げさにいうならば、記録として残してきたつもりである。
ここで、最近読んだ本の中で大変興味深いものがあったので、少し書いて見たいと思う。勿論、従来のスタイルで200…
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