"歴史"の記事一覧

邪馬台国はやはり宮崎平野にあったろう 2

邪馬台国はやはり宮崎平野にあったろう の 第2弾。 「魏志倭人伝」をきちんと読めば、畿内も北九州(福岡)もありえないと言う話をしたい。 まず、邪馬台国の場所を推察する上で、「魏志倭人伝」をその拠り所とするのであれば、書かれた内容を忠実に解釈することが必要である。 部分的に取り上げたり、ここの表記はどうも違うので無視する、あ…

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馬家浜遺跡 長江文明の足跡

2019年9月、大凡7000年前の太湖周辺にあった長江文明の遺跡の一つ、浙江省嘉興市馬家浜にある馬家浜遺跡を訪れた。 馬家浜遺跡は馬家浜文化と呼ばれる紀元前5000年〜3800年、今から約7000年前、太湖周辺に起こった稲作を中心とした長江文明の一つの文化圏の遺跡である。同時期の文化としては1973年に発掘された浙江省寧波市近郊の…

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中国古代史 その1

暑かった夏も終わり、ようやくブログの続きでも書いてみようという気になってきた。 今回はしばらく続けていた邪馬台国関連はひとまずお休みし、日本の生い立ちを知る上でも欠かせない中国古代史を改めて掘り起こしてみたい。 世界四大文明の一つに挙げられている黄河文明、私たちの世代はこう学校で習ったが、それを凌駕するレベルの文明が長江下流…

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邪馬台国と纒向遺跡

ここ数年の纒向遺跡に関するニュースを見ていると、この地が邪馬台国の最有力候補であり、箸墓古墳が卑弥呼の墓であるかのごとき見出し、前置きで語られ、これだけを読めばそうなのかなと思う人も少なくないだろう。どのメディアもほぼ同一な内容で書き立てている。 例えば、、これは2017年11月6日の産経WESTのWebニュース記事。 …

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宮崎平野の古墳群1 西都原古墳

先日、邪馬台国はやはり宮崎平野にあったろう という記事を書いた。中田力氏の著作「日本古代史を科学する」(PHP新書 2012年発行)の前半部分のクライマックスである。後半はもっとぶっ飛んでいる。学界のタブーどころか、これまでの古代史をひっくり返す内容である。渡来人とか弥生人という表現でぼやかしていた日本古代史を恐らく塗り替えてしまうだろ…

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邪馬台国はやはり宮崎平野にあったろう

前回、中国・春秋戦国時代の斉の国の都・淄博(しはく)に出掛けた時の様子を書いたが、正しくは淄博(しはく)市内の一区画・臨淄 (りんし)が首都である。 写真を引っ張り出して眺めていたら何故か古代日本に関する歴史本が読みたくなり、Amazonでキンドル本を探していたら、中田力氏の著作「日本古代史を科学する」(PHP新書 2012年発行…

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長江文明 6 長江・黄河そして日本

長江文明 5 長江文明の衰退の続き。 3章 「長江・黄河そして日本」。この章は梅原氏と京都大学名誉教授であり考古学者の樋口隆康氏との対談がベース。この対談では各方面の話題が出て大変興味深いのだが、いくつかピックアップしてみる。 ・やはり何と言っても、文字の存在。北(殷:黄河文明)では見つかっているが、南(長江文明)では現時点…

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長江文明 5 長江文明の衰退

長江文明 4 都市文明の成立の続き。 前回、「紀元前2000年頃(今から4000年前)頃を境にして、長江流域全体が停滞期を迎える。これが、中国歴史最大の謎である」で終わった。その続き。 ここで、もう一度石家河文化圏の三苗民族と良渚文化圏の古代越人について触れておく。 三苗民族は長江中流域で紀元前3000年前半から末期に…

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長江文明 4 都市文明の成立

長江文明 3 土器の起源の続き。 第2章 都市文明の曙光 (問)都市文明はどこで発生したのか? (答)城壁を作っての城壁都市は長江中流域の城頭山遺跡が一番古い。紀元前3500年、今から5500年前から5000年前に巨大な城壁を作るようになった。但し、考古学上の証拠としては、今から5000年前から4000年前の間、とりわ…

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長江文明 3 土器の起源

長江文明 2 稲作農業の起源の続き。 次に、梅原氏の以下の3つの質問に対し、巌文明氏が大変謙虚に答えられている。 1.稲作農耕起源が何故長江中流か? 2. 石器文明、旧石器・新石器の関係 3. 土器の発生 巌氏の説明を簡潔に言うと、 1、今まで発見された中で、長江中域が差し当たって一番古い。しかし、唯一の中心地だ…

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