虹口 提籃橋駅周辺 下海廟、公平路 2017年
2017年12月、地下鉄12号線提籃橋駅の北側を散策した時の様子を記事にする。
駅の近くにある下海廟という寺院を参拝してから公平路、途中で名が変わる臨平路を歩いた。
百度百科によると、この辺りにはかつて下海浦と呼ばれる呉淞江(蘇州河)の支流が流れており、黄浦江の下流側に位置するので「下海」と呼ばれていた。近くにある寺院・下海廟の名はここから来ている。一方、外灘など市中心部は呉淞江のもう1本の支流が流れ、「下海」に対し黄浦江の上流側に位置するので「上海」、それが現在の上海の名の由来と聞く。
清朝の時代、その下海浦に橋が架けられ名を提籃橋としたことからこの地区の名となった。提籃は手提げカゴの意味。恐らく手提げカゴを持った人々が多く行き交う賑わいのある場所だったのだろう。1956年までは提籃橋区という行政単位があったのだが虹口区に編入された。
周辺の地図
歩いたルート

地下鉄12号線提籃橋駅を下車する。

目の前、東西に走る通りが東長治路、縦・南北は海門路。東長治路から南側、黄浦江にかけてのエリアは北外灘と呼ばれ再開発が急ピッチで進んでいる。目の前に上海北外灘来福士ビル建設中。人民広場近くにある上海来福士と同系列の複合商業ビル。右がそのツインビルの東楼。中央奥に東大名路沿いに建つ浦江国際金融広場が見える。

上海北外灘来福士のツインビルを見上げる。完成すれ提籃橋駅に直結する巨大商業施設になるだろう。

海門路を北に向かうと正面に下海廟が見える。

振り返って上海北外灘来福士のツインビルを眺める。

さあ、下海廟が見えてきた。1716年に設立された寺院。当時は漁民達が海に出発前にお祭りをする小さなお寺だったと聞く。

山門を一枚。

確か5元払って入場。四天王を祀ってある天王殿の様子。参拝に夢中でその後の写真は何処へ。一通りお参りし寺院を後にする。

前の通りは昆明路。

昆明路を西に進む。南側はすでに家屋が取り壊されたようで広大な空き地。上海北外灘来福士のツインビルが一望できる。

東南の方角を望む。

唐山路との三叉路。

昆明路を更に西に向かい公平路との交差点より西南の方角を望む。この一画も巨大な更地。さて、何ができるのか。

南に目を移すと何度も見てきた上海北外灘来福士のツインビル。

公平路を北に向かう。

公平路と海門路、東余杭路の変則五叉路の様子。

海門路の様子。

海門路から変則五叉路を振り返る。

海門路の北西側の様子。

東余杭路の東側の様子。前方から下町の匂いが感じられるが、ここの探索は別の機会にする。

公平路を北に進む。

しばらく歩くと緩やかな左カーブに差し掛かる。

更に進む。下町っぽい商店が連なる。

右サイドは祥裕里と呼ばれる昔ながらの長屋群が密集する住居区。

屋根の作りが特徴的。

中を覗いてみる。所々洗濯物が干してあるので人は住んでいるのだが、生活感が感じられない。早晩、取り壊しになるのだろうか。

更に進む。

左手には赤煉瓦造りの2階建てのアパート。

中を覗いてみる。洗濯物が少ないので人が住んでいるのかいないのか分からない。

この先は幹線道路の周家嘴路。

振り返る。右には先ほど見た赤煉瓦造りの2階建てのアパート。

周家嘴路の北西側。

中央分離帯から周家嘴路の北西側を眺める。

交差点から公平路の南方向を望む。ここからでもツインビルが見渡せる。

公平路を更に北上する。西側サイドは広大な更地。右に見えるのは遠虹大厦。

岳州路との交差点に出る。岳州路の東側の様子。

公平路を振り返る。中央のビルの隙間から陸家嘴の超高層ビルが拝める。

飛虹路との交差点から飛虹路の東側を望む。この先に地下鉄4号線の臨平路駅がある。

公平路を振り返る。右は虹業大厦。

公平路は臨平路と名が変わる。

瑞虹路との交差点から東を望む。この辺りは瑞虹新城と呼ばれる高層マンション群。敷地内にはショッピングモールもある。

臨平路を更に北上する。

高層マンション・瑞虹新城を見上げる。30階はありそうだ。日本だとタワーマンションと呼ぶのか。これが10棟以上建っている。

さらに北上すると天宝路との交差点に出る。東側を望む。

本日はここまで。
駅の近くにある下海廟という寺院を参拝してから公平路、途中で名が変わる臨平路を歩いた。
百度百科によると、この辺りにはかつて下海浦と呼ばれる呉淞江(蘇州河)の支流が流れており、黄浦江の下流側に位置するので「下海」と呼ばれていた。近くにある寺院・下海廟の名はここから来ている。一方、外灘など市中心部は呉淞江のもう1本の支流が流れ、「下海」に対し黄浦江の上流側に位置するので「上海」、それが現在の上海の名の由来と聞く。
清朝の時代、その下海浦に橋が架けられ名を提籃橋としたことからこの地区の名となった。提籃は手提げカゴの意味。恐らく手提げカゴを持った人々が多く行き交う賑わいのある場所だったのだろう。1956年までは提籃橋区という行政単位があったのだが虹口区に編入された。
周辺の地図
歩いたルート

地下鉄12号線提籃橋駅を下車する。

目の前、東西に走る通りが東長治路、縦・南北は海門路。東長治路から南側、黄浦江にかけてのエリアは北外灘と呼ばれ再開発が急ピッチで進んでいる。目の前に上海北外灘来福士ビル建設中。人民広場近くにある上海来福士と同系列の複合商業ビル。右がそのツインビルの東楼。中央奥に東大名路沿いに建つ浦江国際金融広場が見える。

上海北外灘来福士のツインビルを見上げる。完成すれ提籃橋駅に直結する巨大商業施設になるだろう。

海門路を北に向かうと正面に下海廟が見える。

振り返って上海北外灘来福士のツインビルを眺める。

さあ、下海廟が見えてきた。1716年に設立された寺院。当時は漁民達が海に出発前にお祭りをする小さなお寺だったと聞く。

山門を一枚。

確か5元払って入場。四天王を祀ってある天王殿の様子。参拝に夢中でその後の写真は何処へ。一通りお参りし寺院を後にする。

前の通りは昆明路。

昆明路を西に進む。南側はすでに家屋が取り壊されたようで広大な空き地。上海北外灘来福士のツインビルが一望できる。

東南の方角を望む。

唐山路との三叉路。

昆明路を更に西に向かい公平路との交差点より西南の方角を望む。この一画も巨大な更地。さて、何ができるのか。

南に目を移すと何度も見てきた上海北外灘来福士のツインビル。

公平路を北に向かう。

公平路と海門路、東余杭路の変則五叉路の様子。

海門路の様子。

海門路から変則五叉路を振り返る。

海門路の北西側の様子。

東余杭路の東側の様子。前方から下町の匂いが感じられるが、ここの探索は別の機会にする。

公平路を北に進む。

しばらく歩くと緩やかな左カーブに差し掛かる。

更に進む。下町っぽい商店が連なる。

右サイドは祥裕里と呼ばれる昔ながらの長屋群が密集する住居区。

屋根の作りが特徴的。

中を覗いてみる。所々洗濯物が干してあるので人は住んでいるのだが、生活感が感じられない。早晩、取り壊しになるのだろうか。

更に進む。

左手には赤煉瓦造りの2階建てのアパート。

中を覗いてみる。洗濯物が少ないので人が住んでいるのかいないのか分からない。

この先は幹線道路の周家嘴路。

振り返る。右には先ほど見た赤煉瓦造りの2階建てのアパート。

周家嘴路の北西側。

中央分離帯から周家嘴路の北西側を眺める。

交差点から公平路の南方向を望む。ここからでもツインビルが見渡せる。

公平路を更に北上する。西側サイドは広大な更地。右に見えるのは遠虹大厦。

岳州路との交差点に出る。岳州路の東側の様子。

公平路を振り返る。中央のビルの隙間から陸家嘴の超高層ビルが拝める。

飛虹路との交差点から飛虹路の東側を望む。この先に地下鉄4号線の臨平路駅がある。

公平路を振り返る。右は虹業大厦。

公平路は臨平路と名が変わる。

瑞虹路との交差点から東を望む。この辺りは瑞虹新城と呼ばれる高層マンション群。敷地内にはショッピングモールもある。

臨平路を更に北上する。

高層マンション・瑞虹新城を見上げる。30階はありそうだ。日本だとタワーマンションと呼ぶのか。これが10棟以上建っている。

さらに北上すると天宝路との交差点に出る。東側を望む。

本日はここまで。
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