邪馬台国と纒向遺跡

ここ数年の纒向遺跡に関するニュースを見ていると、この地が邪馬台国の最有力候補であり、箸墓古墳が卑弥呼の墓であるかのごとき見出し、前置きで語られ、これだけを読めばそうなのかなと思う人も少なくないだろう。どのメディアもほぼ同一な内容で書き立てている。

例えば、、これは2017年11月6日の産経WESTのWebニュース記事。

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2018年5月13日の朝日新聞のWebニュース記事。

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2018年5月14日の日本経済新聞のWebニュース記事。

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纒向遺跡から出土した桃の種が放射性炭素による年代測定により卑弥呼の時代とほぼ同一の西暦135年から230年という結果が出たことで、この地が邪馬台国であった可能性が高まったという記事内容である。桃の種が西暦135年から230年の物ということだけで、何故この地が邪馬台国であったという結論に結びつけられるのか非常に不思議である。 「魏志倭人伝」に「わし、宮殿に桃の種2000個埋めたんねん!」という記述でもあるならば、その可能性は高まるが、年代が一緒だということで結びつけるには無理があるだろう。

この地を邪馬台国としたい、そう思わせておきたいという強い意志が感じられる。纒向遺跡のある桜井市は話題性が高まることで観光収入が増える、国から遺跡発掘の補助金が出る?などメリットは大いにあると思われるが、日本を代表するような考古学者、専門家達が異論を挟まないことが重ねて不思議だ。マスコミも話題作りのお先棒を担いでいるだけのようだ。

ここで思い出されるのが、2000年11月に発覚した日本考古学界最大の不祥事「旧石器捏造事件」。覚えておいでになろうか?
日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたものが、発掘調査に携わっていた考古学研究家により事前に埋めておいた石器を自ら掘り出して発見したとする自作自演の捏造事件。「北京原人」より古い「秩父原人」がいたなどと話題に上ったものである。

勿論、発覚前に科学的見地から批判していた学者・研究者もいたにはいたが、日本考古学協会がそうした批判を排斥したり圧力を加える事により、事実上の学会八分(村八分)にして、捏造批判の声が噴出する気運を押さえつけたという。(ウキペディアより一部引用)
これは明らかに共犯だろう。こうしたことを平気で行えるのが専門家による狭い組織人の習性なのだろうか? 前述の「日本古代史を科学する」(PHP新書 2012年発行)の著者・中田力氏も相当ご苦労されたらしい。

さて、次回、「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国に関する内容の再確認してみたい。そうすることで、畿内説はあり得ないことが明白になる。
如何に御都合主義の説であるかが分かる。

蛇足だが、邪馬台国とは中国側から見たある意味蔑称であろう。卑弥呼というのも同じ。自ら「邪」や「卑」などという良くない漢字は使わない。中国王朝が周辺の異民族に東夷、西戎、北狄、南蛮などと称したことと同じであろう。次の文字「馬」はどうだろう。案外実際の国の様子を示しているのかもしれない。宮崎には御崎馬という日本古来の在来馬が生息している。当時も馬が多く生息したいた可能性はある。事実、古墳から馬具なども出土しているので、この視点から見ていくのも手かもしれない。


つづく

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