邪馬台国はやはり宮崎平野にあったろう

前回、中国・春秋戦国時代の斉の国の都・淄博(しはく)に出掛けた時の様子を書いたが、正しくは淄博(しはく)市内の一区画・臨淄 (りんし)が首都である。

写真を引っ張り出して眺めていたら何故か古代日本に関する歴史本が読みたくなり、Amazonでキンドル本を探していたら、中田力氏の著作「日本古代史を科学する」(PHP新書 2012年発行)という本を見つけた。邪馬台国の場所の推察や、大和王朝建国に関する本は正直いくらでもあり、かなりこじつけている物が多いので、あまり期待せず読んでみた。中田氏は世界的に著名な臨床医にしてかつ脳神経学者でもあるかなりハイレベルの自然科学者なのだが専門外である日本古代史にも造詣が深く、複雑系科学の世界で使われる検証手法を用いて「魏志倭人伝」「記紀」(古事記、日本書紀)を読み解いている。冒頭、こうした複雑系科学の検証手法に至る説明がやや冗長的なのだが、古代史を専門とする狭い世界の学者達からの攻撃に備えた防御と受け取れる。

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読んでみて、まさに目から鱗である。
「魏志倭人伝」を先入観なしに読み解いている。「魏志倭人伝」に書かれている邪馬台国への道のりの解釈において、距離や方角を都合よく解釈し、やれ九州北部だ、近畿圏だとする解釈をぶった切り、記述された行程を忠実に検証し、さらには「魏志倭人伝」に書かれたその他の記述との整合性や行程の合理性を持ち得た解釈を重ねている。

例えば、
「一大国から末盧国」までは壱岐島から唐津という解釈で大方大差はなくほぼ比定されているが、問題は次の「伊都国」と「奴国」で、「魏志倭人伝」には末盧国から伊都国まで「東南陸行5百里」、奴国まで「東南奴国至る百里」とあるにも関わらず、何故か東に向かい、博多を目指す解釈をしているケースが多い。これは漢から受け取った「奴国」の金印が博多の志賀島から見つかったため、「奴国=博多」という先入観によるものだと。「魏志倭人伝」には全くそのような記述はない。しかも、博多方向であるならば水行できるのに、何故そうしなかったのかという疑問が残る。

このように行程を解釈して行くと宮崎平野に辿り着く。 詳しく書くと長くなるので割愛!。

氏が解釈した邪馬台国までの足取り。図は氏の著作「日本古代史を科学する」から拝借。

「末盧国」から「伊都国」と「奴国」、「不弥国」まで

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「投馬国」から「邪馬台国」まで
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さらに、「記紀」(古事記、日本書紀)を俯瞰的に読み解くことで古代日本史にこれまでにない新説を提示している。「科学する」とあるのだか、「科学していない」部分も散見されるが、私にはとても合理的な説明に思える。直感的に氏の説は正しいと思う。

なお、氏は昨年2018年に69歳の若さ(平均寿命からすると)で亡くなられている。古代日本史に関する続編も計画されていたとのことで、大変残念である。まさか一服盛られたわけではないだろうが…。ご冥福をお祈りしたい。

邪馬台国=宮崎平野説はかなり確度が高いと思える。
そこで、他に宮崎平野説があるか調べている中で、翻訳家・大地舜氏のブログに行き着いた。氏のブログ「邪馬台国と製鉄」によると、宮崎平野の至る所に古墳があり、分かっているだけで前方後円墳150基、円墳1153基、方墳4 基、横穴墓965以上、地下式横穴墓224以上と言う。
土を掘ると何らしか出てくるので、いちいち報告すると工事が中断してしまうため、中にはダマテンで遺跡を潰しているケースも相当数に登ると言われるくらい古墳が多いと聞く。然も、調査関係者の方からは、「ここの古墳は、まだ知られてないけど、異常に古いんですよ。」「しかも、畿内にある古墳が、大きさが縮小した形ですべてそろっている。」 と。

日本全国の古墳情報サイトである「古墳マップ (https://kofun.info)」様から 宮崎県の古墳マップを拝借  こんなにあるんだ!
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これは一体何を意味しているのだろうか? これだけ、古墳があるということは、それだけ力を持った人間が大勢住んでいたことになる。

さらに氏のブログでは、宮崎に住まわれるアマチュア考古学者である日高氏が発見した巨大墳丘墓・笠置山古墳(正式には命名されていない)は、大きさが140mもある前方後円墳であるが、付近はすでに開発が進み発掘調査するには手遅れのようだ。それでも一部発掘がなされ、出てきた遺品からの年代考察では3世紀半ばとも言われている。

この日高氏は文芸社より「史上最大級の遺跡―日向神話再発見の日録」(2003年発行)という本を上梓されているが、絶版のため、国会図書館か民間の7図書館でしか読むことができない。必ず手に取ってみたい本の一つである。

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このように古墳群が数多くあるこの地、「記紀」の中で語られる宮崎の地にまつわる神話の数々、冒頭に述べたように「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国までの道のりを考えると、この場所であった可能性は限りなく高い。

私にはどうやら邪馬台国の本当の場所は知られたくないのではないのだろうかと思える。九州北部説や近畿説を戦わせ、謎のまま引っ張り続け宮崎の地から目をそらせたいのかもしれない。 本気で調べようと思えば調べられるのに宮内庁も考古学界(?)も不思議な態度を取り続ける。それは何故なのだろう?

以前、私は 長江文明 の記事で 日本古代史の鍵を握る、神武天皇の曽祖父であり天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が鹿児島の黒瀬に上陸したということを示す碑があることを書いた。 神話ではこれが「天孫降臨」という形で語られている。いずれ一つ一つの点が線になり面になって行くだろう。

何故、宮崎平野であるか否か、本気で調べないのだろうか? 真実が分かってしまうと困る人たちが多いので、神話として永遠の謎にしたいのだろうか?

日本という国の生い立ちがどうであれ、調和のとれた穏やかで、人を騙すことの少ない素晴らしい民族であることには変わりない。神の国でも万世一系が素晴らしいのではない。その分、論理的思考に弱く、洗脳されやすい世界的に見ると珍しいお人好しなのかもしれないが。

まだまだ続けるぞ!

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