四川旅行 楽山大仏・峨眉山

2011年5月 四川旅行 黄龍・九寨溝の続き。「峨眉山と楽山大仏」として世界遺産に登録された四川省楽山市にある楽山大仏と峨眉山市の峨眉山を訪れた時の様子。 楽山大仏の位置。成都から約100kmの距離。 楽山大仏の周辺 楽山大仏は長江の支流である岷江(びんこう)、大渡河が合流する地点の岸壁に彫られた弥勒菩薩を象った巨大な磨崖仏(石仏)。石窟寺院の一種でもある。その大きさは高さ71mあり、奈良東大寺の大仏の5倍と言うから如何に大きいかが分かる。古文書の言い伝えによると713年より彫り始められ803年に完成したという。当時は13層の木造の建造物に覆われていたということだが、明代末期に建物は焼失し、現在の姿になったという。 楽山大仏の入門口。樹木に覆われている。 楽山大仏景区の案内板。 龍の口から流れ落ちる湧き水。右にあるのは龍の手?足? 兜率宮。兜率天(とそつてん)は仏教用語で三つある天界のうちの六欲天の一つで第4番目の天である。お釈迦さまの前世が兜率天であったということらしい。随分と膨よかな天人様だ。 さらに門を潜って中に入る。 中に入って少し歩くと見えてくる凌雲寺。中は天王殿、大雄殿、蔵経楼の3重式四合院により構成されている。この寺院の隣に大仏様が座っておられる。 出たぁ〜。でかい! 横から見ると視線がなんかユーモラスだ。左上に写っている人と比べると、如何に大きいかお分かりでしょう。 上半身。繊細さはないが、デカさに圧倒され…

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四川旅行 黄龍・九寨溝

2011年4月 四川省黄龍・九寨溝を観光した時の様子。 以前、この地へのアクセスは、成都から450kmの距離をひたすら10時間近く、バス・車で揺られるしか交通手段はなかったが、2003年に九寨黄龍空港ができたお陰で概ね2時間以内で行けるようになった。中国屈指の観光地であるが、今年8月の大地震で、「火花海」、「諾日朗の滝」、「箭竹海」などの観光名所が大きな被害を受けたと聞く。あれから3ヶ月以上経ってはいるが、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。また、早く復興されることを願います。 まずは黄龍風景名勝区の位置。 黄龍風景名勝区周辺。 拡大地図。 ロープウェイで一気に3200mの高さまで登る。そこから五彩池まで約2kmくらい山道を歩くことになる。振り返ると雪を抱いた山並みが見える。 黄龍風景名勝区全景の案内板。少し見辛いが、地図上の上側にある赤い丸点が現在地。最も高いところにある五彩池の近くまで来た。 黄龍古寺。皆さんここで記念撮影。 山の麓に何か工事中のようなものが見える。そう、あれがチベットの五色の祈祷旗であるタルチョーです。 いよいよ棚田のようなプールが見えてきた。五彩池だ。 溶けた石灰が堆積して形成された大小のプールが棚田状に連なり、エメラルドグリーンの水が美しい。 ここを起点に約3,400個、約7kmにも渡ってこのプールが連なっている。 右に見える場所が写真撮影の絶景のポイントらしい。 その絶景…

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安徽省の旅 5 渔梁村

2003年10月、安徽省黄山周辺の旅の最後に訪れた渔梁村の様子。渔梁村の始まりは唐の時代に遡る歴史ある古鎮。新安江の支流・练江に作られた渔梁坝(堰、ダム)が観光の見所。この堰は隋の時代から建造が始まり、明の時代に現在の形になったということらしい。隋の時代ということは、西暦600年前後ということだから、悠に1400年以上経過しているということ。 渔梁村の位置。 渔梁村周辺。 屯渓からバスで移動中に見かけた道路案内と何か良く分からないが石の塔。歙県方向に向かう。 新安江の支流・练江にかかる橋。 练江の下流の様子。 上流側にある渔梁坝(堰)を遠くから眺める。ここは川幅が急に狭くなるため、堰を造り水を貯めて魚を獲りやすくしたのではなかろうか? 地形からして治水目的とは思われない。写真は堰の下流側になるので水量が少ない。 堰の上流側の様子。 渔梁坝の碑。 渔梁村を散策する。なんでも魚の形をしているので、このような村の名前が付いたとか。これは村の入り口の様子。 黒い屋根瓦と白い壁、古びた徽州式建築が連なる。 古びてはいるが、門には素晴らしい彫刻が施されている。 土産物屋一つない通りをひたすら歩く。全然観光化されていない。 村の人が集まっている。恒例の大討論会かと思いきや、和やかに談笑している。 先を急ぐ。 ひたすら歩く。 地元の人向けの雑貨屋さんを見つけたがそれ以外は本当に何もない古民家街。通り一つ向こ…

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西安

昨日11月25日夕方、急な用事のため陝西省西安市(かつての名は長安)を訪れ、ホテルに1泊し先程上海に戻ってきた。今回、観光の時間が取れず、せめて夜にでも市内を散策したいと思い、少しばかり写真撮影したのでご紹介したい。 西安市の位置 西安市内「鐘楼」周辺の地図。 Google Mapでは赤いラインの地下鉄2号線しか表示されていないが、実際は1号線から3号線まで開通している。ホテルに着いたのは夜9時半を回っていたので、あまり遠出ができず、地下鉄1号線と2号線を乗り継いで西安市内で最も賑やかな「鐘楼」周辺だけでも見ておきたいと思い出かけた。ホテルを出て寒いなと思ったら、気温は2℃、道理で寒いわけだ。 東西に走る1号線の様子。ちょっとピントが外れている。 車内の様子。 車内に貼ってあった市内地下鉄路線図。青が1号線、赤が2号線、紫が3号線。 「北大街」駅の様子。ここで南北に走る2号線に乗り換える。 2号線の様子。 「鐘楼」駅に到着。 「鐘楼」駅周辺の地図。中央に描かれた「鐘楼」を囲むように黄色で示してあるのが地下通り。出口は東西南北なので分かりやすいのだが、適当に南大街出口を目指す。 はい、これが「鐘楼」です。綺麗にライトアップされている。「鐘楼は明朝初期の洪武帝の時代の1384年に建てられ、西安市のシンボルとなった。」(by ウィキペディア) 周辺にはデパートやホテルが立ち並ぶ西安一の繁華街。 …

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安徽省の旅 4 屯渓老街

2003年10月、黄山旅行の続き。黄山市内屯渓区の新安江北岸にある屯渓老街を訪れた時の様子。 黄山市屯渓区の地図。 屯渓老街は明・清の時代の徽州式建築の古い商店が立ち並ぶ観光スポット。今回は西側(裏側)にある門より老街に入る。 石畳の狭い通りに土産物屋さんやお茶屋さんなどが軒を連ねる。この辺りは西の外れになるので、人の往来も少なくちょっと寂しい。 少し前まで雨が降っていたので、青や緑のシートが軒先に吊るされている。 地元の人が多いかな、観光客をあまり見かけない。 段々賑やかになってくる。比較的若い人が多いと感じる。 お茶屋さん。地元の名産黄山毛峰、祁門紅茶などが売られている。 この辺りはお茶屋さんが軒を連ねる。 東に向かい通りをズンズン進む。 萬粋楼博物館。徽州古建筑造りの民家と庭園からなる広さ2000㎡の私設博物館。中には屯渓の歴史や徽州古建筑の解説、800を超える蔵書、展示物があるという。残念だが外観だけ拝むとする。 勿論、地元名産「歙硯」(すずり)も売っている。 同徳仁。1863年に開業した140年の歴史ある薬屋さん兼お医者さん。現在は薬屋さんだけのようだ。パブのカウンターと違いまっせ。 テレビドラマで見るような内部の様子。お客さんの症状に合わせて各種漢方薬を調合するのでしょう。脈々と受け継がれてきた時間の重み、すごいとしか言いようがない。 真珠、玉石も売っている。 東側の入り口。牌坊が見え…

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張家界 その2

2003年9月の張家界旅行の続き。 武陵源風景名勝区の地図。 索渓峪自然保護区にある黄龍洞。なんでも10万平米もある巨大なカルストの鍾乳洞らしいが、なんかサクッと回っただけだった。 中は特段、何かライトアップされているわけではなく、フラッシュの具合が良くないのか、ちゃんと写っているものが少ない。お見せできるのはlこれくらい。 張家界国家森林公園入口。ここは武陵源風景名勝区の南西部にある。 周辺の様子。向こうに昨日山頂から眺めた奇岩が連なる。 今回は下から奇岩を見上げることになる。 清流に沿って散策道が作られている。 上から眺める景色と違い、下から奇岩を眺めた様子。 次から次へと現れる奇岩。 かなり尖った奇岩もある。 けったいな形。 ズンズン歩く。 このような散策道をひたすら歩く。 間近にそびえる奇岩。 だんだんお腹いっぱいになる。 それでもひたすら歩き、写真を撮る。 広場に出る。ここには「張家界」と刻まれた岩が置かれている。名前が掘られているが、この人は至る所に自分の名を刻んでいるな。左は水車かな。 ここが絶景ポイントなのだろう。 これで散策は終了。張家界市内に戻る。遠くにシルエットのように奇岩の山々が映り込む。 張家界はこれにて終わり。

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安徽省の旅 3 西逓・宏村

2003年10月、黄山の南麓にある西逓・宏村を訪れた。この二つの村は「安徽南部の古村落」として2000年に世界遺産に登録された。1000年の歴史があり、明・清の時代の建築物が多く保存されている古鎮。西逓は「桃花源裡人家」(桃源郷)、宏村は「中国画里郷村」(水墨画のような美しい村)とそれぞれ呼ばれている。黄山市内から西逓まで約50km、宏村はそこから5kmくらい離れている。 安徽省の旅 1 黄山 安徽省の旅 2 棠樾牌坊群の続き。 西逓の地図。 西逓古村の周辺。 バスで西逓に向かう。乗り場では恒例 朝の大討論会。 西逓の案内図。 バスを降りしばらく歩くと牌坊が見えてきた。その手前には池、左手には土産物屋が並ぶ。 これはでかい牌坊だ。いかに裕福だったかが分かる。 西逓の案内板。 さあ、いよいよ中に入る。 黒い屋根瓦と白い壁、中は細い路地が入り組んでいる。 どの家も防火壁が素晴らしい。日本風に言うと「うだつ」。立派にうだつが上がってます。 石に彫ってある彫刻が見事である。これだけの手間暇かけるのだから、相当裕福だっただろう。 少し広い通りに出る。写生をしている人を時たま見かける。 「中秋節の時、我が家の豚を屠殺するのでみんな買いに来て」という手作り広告。POPだ! どんどん進む。きちんと手入れされているのか、白壁は黒ずんでいない。 えらく細い通りが入り組んでいる。 屋根の形…

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安徽省の旅 2 棠樾牌坊群

2003年10月、安徽省の旅 1 黄山 の続き。次に歙県郑村镇棠樾村にある棠樾牌坊群を訪れた。 明・清の時代、徽州の商人(新安商人ともいう)たちによって建てられた家族の記念碑の一つであり、「忠誠、孝行、正義、親孝行」に従って7つの牌坊が配置されている。安徽省は今でこそ中国一貧しい地域などと言われているが、この時代、この地区は塩業で大変裕福だったと聞く。 郑村镇棠樾村の地図。 棠樾牌坊群周辺。 入口近くにある祠。 さて、中に入る。1番目の立派な牌坊がお出迎え。これはすごい、これまで見た牌坊の中でも強く印象に残る。これが7つあるのだから壮観である。 振り返る。逆光のため、画面全体が暗い。2台のデジカメを駆使したが、これを撮影したカメラは色調があまり良くない。 2番目。 1番目と2番目を斜め横から。 1番目と2番目の間にある鮑氏一族の祠。この牌坊群を建造した一族である。 祠の中の様子。 右側面。「忠」、「孝」。 左側面。「廉」(高潔)、「節」。 左 鮑氏一族の祠と2番目から4番目まで。 3番目 あれ、いつの間にかおばあさんがいる。 3番目から振り返る。 4番目。 4番目から7番目まで。 4番目から振り返る。 斜め横から。 5番目を振り返る。 棠樾牌坊群を後にして黄山市内に戻る途中、立派な牌坊を見つけたので立ち寄ることにした。 …

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安徽省の旅 1 黄山

2003年10月 世界遺産に登録されている安徽省黄山と周辺の古鎮へ旅行した時の様子。 黄山の名は伝説上の三皇五帝の一人である「黄帝」(古代中国史を参照)がこの山で不老不死の薬を飲み、仙人になったという伝説に基づいている。「黄帝」は中国医学の始祖とも言われ、あの栄養ドリンク「ユンケル黄帝液」がその名に肖ったという。また、「黄帝」は漢民族の始祖とも言われているので、黄山が絶景であるだけでなく人気が高いことがお分かりになるでしょう。 黄山の地図。 黄山周辺。 上海駅より夜行列車に乗って黄山駅まで移動。記憶が定かではないが、黄山駅に朝5時頃到着し、確か駅前の呼び込みで休憩所プラス黄山登山口まで車で送迎の抱き合わせを頼んだような。朝が早すぎるため、どこかで休憩したいという気持ちと黄山まで送迎という早朝駅に着く黄山登山旅行客のニーズを掴んだうまいビジネスだ。 黄山登山口付近の風景。 さて、雲谷ロープウェイに乗り一気に登頂する。切り立った奇岩の数々、そして松。 切り立った峰が遠くまで連なる。 雲なのか霧なのか霞んできた。雲が山間を覆い尽くすような雲海までにはならないだろうが、なかなか幻想的な風景。 白い霞で後ろに連なる山々が見えなくなる。 後ろ姿が子を抱く母猿に似てる「なんとか岩」と何かで見た気がするが…。 結構急な石段を上り下りする。雨でも降って来たら滑りそうで怖い。 太平ロープウェイ乗り場が見える。 …

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南京 2003年 続編2

2003年9月 南京を訪れた時の様子。南京 2003年 続編の続き。まだ、写真が残っていたのでご紹介したい。 朝天宮の地図。 朝天宮周辺の地図。 新街口から西南方向に地下鉄駅一つ分くらい歩いたところにある「朝天宮」。勿論当時地下鉄は開通していない。明の時代に文武百官がこの地で朝廷での礼儀を学んだためそう呼ばれている。現存する明清代の建築物では最大規模とのこと。元は、春秋戦国時代(紀元前470年頃)に呉王夫差により築城されたとある。呉王夫差は父親闔閭が越王勾践に敗れたことに復讐を誓う「臥薪嘗胆」の由来となった人物。現在は南京市博物館として保存されている。 入り口部分を横から撮影。中央の建屋には何故かハングル文字で何か書かれている。 東面に「徳配天地」と書かれた牌坊門。孔子さんの言葉。徳を大切にせよという意味。 もう一つ西面に「道貫古今」と書かれた牌坊門。孔子の道は古今を貫き、永続であるという意。 正面の大門「棂星門」。 中に入ると孔子像がお出迎え。 近寄る。 振り返る。 孔子様を後ろから失礼します。 南京市博物館の看板。 新街口に戻る。大洋百貨の手前あたりから中山南路の北側を眺める。右は中央商城とその奥が商茂世紀広場、南京新百と連なる。左は大洋百貨と東方商城。 南京駅の駅舎建設の様子。 南京編はこれにて終了です。

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