今週末からしばらく 日本、パリ、ロンドンを周遊する。
日本は周遊のうちには入らないか。
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世紀大道駅 六叉路交差点 5の続き。前回2005年から、ずいぶん時間が経過してしまった。時期は2008年1月。
周辺の地図。
Google Earth 2008年4月の様子。
地下鉄4号線「浦東大道」駅で降車し、福山路を歩く。福山路は東方路の通り一つ東側の住宅街にある通り。北側に上海海神诺富特大酒店(ノボテルホ…
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虹口区の東端、歴史保存建造物が多く集まる霍山路、舟山路エリアを散策。この辺りはかつて日本軍が国籍の無い難民の居留地区に指定したため、ユダヤ人難民などが多く居留していた。周辺にはその名残のある建物が多く残っている。地下鉄12号線「提籃橋」にほど近い。散策したのは2008年1月。
周辺の地図
霍山路に到着。
191…
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長江文明 5 長江文明の衰退の続き。
3章 「長江・黄河そして日本」。この章は梅原氏と京都大学名誉教授であり考古学者の樋口隆康氏との対談がベース。この対談では各方面の話題が出て大変興味深いのだが、いくつかピックアップしてみる。
・やはり何と言っても、文字の存在。北(殷:黄河文明)では見つかっているが、南(長江文明)では現時点…
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長江文明 4 都市文明の成立の続き。
前回、「紀元前2000年頃(今から4000年前)頃を境にして、長江流域全体が停滞期を迎える。これが、中国歴史最大の謎である」で終わった。その続き。
ここで、もう一度石家河文化圏の三苗民族と良渚文化圏の古代越人について触れておく。
三苗民族は長江中流域で紀元前3000年前半から末期に…
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長江文明 3 土器の起源の続き。
第2章 都市文明の曙光
(問)都市文明はどこで発生したのか?
(答)城壁を作っての城壁都市は長江中流域の城頭山遺跡が一番古い。紀元前3500年、今から5500年前から5000年前に巨大な城壁を作るようになった。但し、考古学上の証拠としては、今から5000年前から4000年前の間、とりわ…
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虹口 河南中路から海寧路まで 2008年 の続き。
虹口区の海寧路と江西北路の交差点より江西北路→安慶東路→武進路→羅浮路→虬江路→宝山路を散策した時の様子。
時期は2008年1月。
Google Map 周辺の地図。
百度地図 歩いたルート
前回、河南中路から海寧路まで歩いた続き。
海寧路と河南…
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2008年1月 天気は良好だが寒い1日、河南中路から河南北路、江西北路を経由して海寧路まで散策したのでその時の様子。
まずは、河南中路周辺の地図。
河南中路と天津路の交差点付近から南側を見る。中央は南京東路に面した華東電力大楼、その右は建設中のForever21。その手前、左側は間も無く建設が始まる新世界大丸百货の用…
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長江文明 2 稲作農業の起源の続き。
次に、梅原氏の以下の3つの質問に対し、巌文明氏が大変謙虚に答えられている。
1.稲作農耕起源が何故長江中流か?
2. 石器文明、旧石器・新石器の関係
3. 土器の発生
巌氏の説明を簡潔に言うと、
1、今まで発見された中で、長江中域が差し当たって一番古い。しかし、唯一の中心地だ…
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