古代中国史

前々回の長江文明、前回の日本の神話の続き。 先に述べたように、神話であるわけだから、如何様にでも都合よく創作したり、改変する事ができるにもかかわらず、「古事記」にはニニギノミコトが日本列島に最初に降り立った場所が、鹿児島県西部の笠沙(かささ)の地であると書き記されている。私には、積極的に記したと考える方が、合理的ではないかと思える。つまり、編纂を命じた天武天皇、そして一説には藤原不比等が関わっていたのではないかとの説もあり、彼らのある意図が隠されていると見た方がすんなり解釈できる。発散しかかっているので、一旦、この件はここまでとし、ニニギノミコトが日本列島に最初に降り立ったと思われる時期、その頃の中国古代史を深堀りして見たい。 さて、アカデミックな世界では大陸から渡来した渡来系弥生人の存在が確認されており、時期は紀元前10世紀頃から紀元後3世紀中頃までの弥生時代というのが考察結果である。この時期、中国は西周から春秋戦国時代にあたる。 ここで、いきなり春秋戦国時代から始める前に、中国の古代神話から取り上げて見たいと思う。 神話伝説時代、三皇五帝という言い方があり、8人の神・帝王を指す。所謂「夏」以前の時代のこと。8人の帝王が誰であるか諸説あるようだが、司馬遷著「史記」によると、三皇は「伏義」、「神農」、「女媧」、五帝は「黄帝」、「顓頊(センギョク)」、「嚳(コク)」、「堯(ギョウ)」、「舜(シュン)」ということになる。 三皇のうち、「伏義」と「女媧」は、夫婦とも兄妹とも言われて…

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日本の神話

前回取り上げた長江文明の内容がいささかぶっ飛んでいたので、今一度考察してみたい。 今後整理したい事柄として、(順不同) 1.長江文明 2.苗族 3.中国古代史(特に、春秋戦国時代から秦統一までの時期) 4.日本の神話(「古事記」と「日本書紀」) どれも興味深く順番に掘り下げていきたいのだが、最初に4番目の「日本の神話」を取り上げる。神話の時代とはまさに弥生時代の出来事と思われる。 ウキィペディアによると、「弥生時代は、日本列島における時代区分の一つであり、紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした生産経済の時代である。」 この時期の中国はというと紀元前1100年より始まった周(西周)、紀元前770年から始まる春秋戦国時代を経て紀元前221年の秦の始皇帝による中国統一の時代に重なる。 ちなみに弥生時代の名称だが、東京都文京区弥生町の貝塚から発掘された土器を弥生式土器(後に「式」が外され弥生土器)と命名したことによる。もし、お隣の根津町で貝塚が発掘されていたならば、根津土器、根津時代となっていたのだろうか。(昨年末亡くなられた俳優の根津甚八氏を偲んで) 東京都文京区弥生の位置。 さて、前回取り上げた日本最古の歴史書「古事記」(完成 712年)。そして、日本最古の正史は「日本書紀」(完成 720年)である。 最古というのだからそれより古いものは現存しないのだが、調べると ()の中は存在しない…

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長江文明

これまで、2001年から2004年頃までに撮影した上海や旅行の写真をまとめる形でブログを書いてきた。概ね15年くらい前の上海の様子である。劇的に変わっていく街の様子を、大げさにいうならば、記録として残してきたつもりである。 ここで、最近読んだ本の中で大変興味深いものがあったので、少し書いて見たいと思う。勿論、従来のスタイルで2004年以降の当時の写真と現在を比較しながら記録として残す作業も継続する。 タイトルは「長江文明の探求」(梅原猛氏、安田喜憲氏共著 2004年)。世界四大文明(現在はわからないが、私が学校で習った時はそのように教わった)の一つである中国・黄河文明よりもさらに1000年程度も古いB.C14000年頃よりB.C1000年頃まであったとされる長江中下流域の稲作中心の文明で、稲作日本のルーツかもしれないという内容。 蛇足だが、学校で黄河文明について習った当時、中国の地図を見て、漠然と、黄河より大きな川、長江(当時は揚子江と習った)の方が、黄河に比べ南に位置し気候的には温暖で住むには適しているだろう、ならば何故、黄河文明に匹敵するような文明がなかったのか? 疑問に思ったことがあった。 中国の地図。 ちなみに「揚子江」の呼び名は、南京から下流の一部分の呼び名で、上海あたり?でこれを耳にした最初の外国人が、この川の名を「揚子江」と思い(勿論間違いではない)、これが世界に広がったためらしい。正しくは川全体を「長江」、南京より下流の一部分を「揚子江」と呼ぶ。た…

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第一八佰伴周辺 10

第一八佰伴周辺 9の続き。 2005年4月 第一八佰伴の隣、新梅聯合広場(ツインタワー)。だいぶ出来上がってきた。 浦東南路より华润時代広場を撮影。奥は建設中の中融恒瑞国際大廈。 2005年5月 浦東南路の北方向、右は第一八佰伴、左は中融大廈。 浦東南路を北に進む。 中融大廈ほぼ出来上がる。 張楊路から東方向をみる。右は华润時代広場、左は第一八佰伴、奥の円柱形のビルは生命人寿大廈。 中融恒瑞国際大廈が見えてきた。 張楊路を東に進み、中融恒瑞国際大廈を見る。 さらに進んでショッピングモール部分を見る。 第一八佰伴から。 張楊路から新梅聯合広場(ツインタワー)方向をみる。この角度から見えるのは1棟だけ。手前は第一八佰伴。奥に世界広場。 張楊路から北西方向を見る。中融大廈と菊園。手前は、基礎工事中の鄂爾多斯国際大廈と上海湾。 歩道橋に上がり、同じ角度から鄂爾多斯国際大廈と上海湾の基礎工事の様子見る。 浦東南路の歩道橋より鄂爾多斯国際大廈の工事の様子を見る。奥は世茂滨江花园。 同じ場所、2005年1月の頃はこんな具合。 2005年5月に戻って、少し南に向きを変える。 鄂爾多斯国際大廈の手前にはまだ2階建ての建屋は健在。 浦東南路に架かる歩道橋より2階建の建屋をみる。 第一八佰伴前の広場より西をみる。中央は菊園、奥は江臨天下。 …

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2003年 番外編 後半

2003年 番外編 前半の続き。 2003年7月 浦東・北張家浜路周辺。浦電路と塘橋の中間に位置する。 張北浜に架かる橋のすぐそば。見事に「拆」とマーキングされた撤去予定住居群。その後この場所には東旅大廈が建設される。 後ろは嘉徳公寓。 周辺の一角。爺様達の憩いの場。 2003年7月 浦東・東昌路。建設中の南洋商业银行大厦。オレンジ色の鉄骨はガラス張りのビルに変身。 南京東路・歩行街。上海置地広場。 浙江中路との交差点より世紀広場方向を見る。 虹口周辺。 東方明珠から見た浦西、虹口方面。手前が黄浦江、呉淞江に架かる外白渡橋が見える。その先が上海大厦。現在は無いが呉淞路に架かる呉淞路橋も見える。 北に目を移すと、大名路周辺に民家が密集している様子が見える。 さらに北に向けると、東大名路と東長治路に挟まれたエリアに民家が密集している様子が見える。この辺りは後に地下鉄12号線が開通し再開発が進んだ。 2003年8月 雨上がりの延安東路。 雨上がりの淮海中路、太平洋百貨店(そごう)前。 えらいことになってる。 2003年6月に完成した卢浦大桥を鲁班路から見上げる。 外灘から見た陆家嘴。 上海大厦から外灘を望む。 呉淞江に架かる外白渡橋と今はもう無くなってしまった呉淞路に架かる呉淞路橋。 2003年9月 外灘の夜景。 東にレンズを移し、陆家…

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2003年 番外編 前半

2003年撮影した写真で採用しなかったものを番外編として集めたのでご紹介したい。 2003年2月 南浦大橋から見た陆家嘴。金茂大厦、東方明珠が遠くに見える。 2003年4月 南浦大橋から見た東桜花園(中央)とその左は建設中の東南華庭 。 東桜花園と建設中の東南華庭のそれぞれ2棟目が見えてきた。 2003年3月 陆家嘴の陆家嘴中心绿地の東側。恒生银行大厦(旧森茂ビル)など。 世紀大道の金茂大厦の反対側付近より南方向を見る。浦東南路沿いの世界広場が見える。 2003年3月 東昌路の様子。 東昌路を東方向にみる。ずっと奥、浦東南路沿いに建設中の南洋商业银行大厦が見える。 反対方向を見る。左側は仁恒浜江園。 東昌路を東に進む。右の茶色のビルは東昌大楼。その奥がオレンジ色の鉄筋が組まれた南洋商业银行大厦。 右は世界広場。 浦東南路を渡って東昌大楼を見る。 2003年5月 建設中の南洋商业银行大厦。手前は浦東南路。 2003年4月 淮海中路の大上海時代広場。 雁蕩路の様子。この頃よりおしゃれなカフェやブティックなどが並び始める。 2003年3月 浦東・東方路の張家浜(運河)、後の地下鉄6号線「浦電路駅」付近。当時、東方路灯飾城があったのだが解体中。ここは後に浦東軟件園陸家嘴分園(ソフトウェアパーク)が建設される。車窓からの撮影のため、ちょっと見づらい。ご容赦を。 …

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浦東 塘橋 3

浦東 塘橋 2の続き。 まずはGoogle Mapで塘橋の場所を確認。 2004年8月のGoogle Earth。上海浦东喜来登由由酒店、由由国际广场の建設予定地が整理され、間も無く工事が始まる。 2005年1月 浦東南路と浦建路の交差点に架かる歩道橋から浦建路の東側を撮影。左は建設中の新塘橋生活広場、その手前の用地の下に地下鉄4号戦の塘橋駅ができる。 浦建路の真上から。東桜花苑の看板は健在。 中央の煉瓦色したビルが東源大廈。 浦建路の反対側、塘橋新路をみる。左はすでに開業している上尚商廈。開業当初1階に徳克士(Dicos)が入居していたが、現在はマクドナルドに変わっている。上島珈琲店は現在も健在。 浦東南路の北側。 建設中の中錦広場は進捗なし。その右隣が新塘橋生活広場。遅れて建設が始まったが、先に完成しそう。 ちょっと傾いてます。ご容赦を。 歩道橋から降りて地上より浦東南路の北側を撮影。 2005年7月 浦東南路と浦建路の交差点に架かる歩道橋から浦建路の東側を見る。上海浦东喜来登由由酒店、由由国际广场の工事が始まった模様。重機が見える。 浦建路の真上から。東桜花苑の看板は健在。 地下鉄工事はまだ続く。 建設中の新塘橋生活広場はだいぶ出来上がってきた。 浦東南路の北側。相変わらず中錦広場の建設は止まったまま。 つづく

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金融の中心 陆家嘴 5

金融の中心 陆家嘴 4の続き。 Google Mapで陆家嘴周辺の場所を確認。 2004年5月のGoogle Earth。 2004年2月 東方明珠側より銀行ビル3兄弟のうちの2つ、右が交银金融大厦、その隣が建設中の上海银行大厦。 2004年6月 いよいよ美食城(レストラン街)の撤去が始まった。ガラス越しのため、ご容赦を。 2004年11月 左隅は上海银行大厦。中央は建設中の匯亜大廈、その手前は基礎工事が始まった黄金大厦。 2005年4月 右から未來資產大廈、その隣が震旦国際大楼、花旗集团大厦、そして汤臣一品(Tomson-riviera)3棟。手前は美食城(レストラン街)。 これより日付が表示されてしまうのだが、何卒ご容赦を。 左にカメラを向ける。建設中の上海鹏利辉盛阁公寓が見える。 美食城(レストラン街)をアップで。解体撤去が進んでいるのが見て取れる。 北西に目を移すと正大广场が見えてくる。 2005年5月 東泰路の金茂大厦の下より南を向くと正面に建設中の盛大金磐3棟が見える。その手前は上海中心大廈の用地。 東泰路を南方向、上海中心大廈の用地方面に歩く。左がその用地で飲食店とゴルフ練習場になっている。その後方に震旦国際大楼、花旗集团大厦などが見える。 またまた登場、銀行ビル三兄弟、中銀大厦、交银金融大厦、上海银行大厦。 汤臣一品(Tomson-riviera)3棟とその…

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第一八佰伴周辺 9

第一八佰伴周辺 8の続き。 時は2005年1月。まずは、Google Mapで場所を確認。 Google Mapで場所の確認。 2004年8月のGoogle Earth。 2005年1月 第一八佰伴の正面、中融大廈の横の鄂爾多斯国際大廈の基礎工事が始まっていた。右は菊園、奥は世茂滨江花园。 同じポイント 8ヶ月前の2004年5月頃の様子。 時代は2005年1月に戻り、基礎工事の様子を南側より見る。後方は菊園。 西にカメラを向ける。鄂爾多斯国際大廈(Erdos International Mansion)に隣接する、張楊路に沿って建設中のショッピングモール「上海湾」。 「上海湾」建設用地を歩道橋から地上に降りて撮影。右手が菊園。張楊路沿いにあった商店は完全に撤去され壁が出来上がっている。歩道橋も新設されていた。 同じ場所 2年前の2003年1月の様子。こんな感じで商店が連なっていた。 時代は2005年1月に戻り、第一八佰伴前から建設中の新梅聯合広場(ツインタワー)を望む。第一八佰伴のオフィス棟より高くなってきた。 お待たせしました「復興東路隧道」開通です。 8ヶ月前 2004年5月はこんなんでした。 張楊路にかかる橋より東側を見る。右は华润時代広場、左は第一八佰伴。 8ヶ月前 2004年5月はこんなんでした。何かのんびりやってるようで、意外に進捗は早い。 浦東南路に架かる歩道…

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世紀大道駅 六叉路交差点 5

世紀大道駅 六叉路交差点 4の続き。 前回も取り上げた2004年2月のGoogle Earth。 一連の地下鉄、地下立体交差の工事が終息していることが見て取れる。 さて、撮影は2004年5月。 张杨路の西側(第一八佰伴側)より六叉路交差点を撮影。右に曲がると東方路。 東方路北側より交差点をみる。右は湯臣金融大廈、中央2棟目が上海红塔豪华精选酒店(セントレジスホテル)、左は爵士大厦。 张杨路と東方路の角より南方向を見る。 東方路を北に向かって歩いてから交差点方向を振り返る。地下立体交差への出入り口の様子。中央は湯臣金融大廈。 それから1年後の2005年5月の様子。写真に日付が出力されてしまい、見辛く恐縮です。 张杨路より東方路へ抜ける右折専用線。 東方路北側のマンション群。 東方路南側。 工事が終わり、なんてことのない普通の交通量の多い交差点に戻ってしまったため、この場所への興味は失せてきてしまった。大型工事が始まるのは今より約10年後ということになる。 さて、ここで写真撮影から半年後の2005年11月のGoogle Earthを見てみる。 世紀大道の一部で工事が始まり、迂回している様子が分かる。恐らく地下鉄6号線、9号線の工事と思われるが、さほど大規模なものではない。青い屋根が目印のホームセンター「好美家」とお隣のスーパーはこの時期でもまだ健在のようである。 つづく

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